2009年11月 6日 (金)

時代親父でOK!

「だからあんたは時代遅れなんだ」と言いたい。反対に「時代遅れでもOK」とも言いたい。

時代遅れの頑固なおやじのことを「時代親父」と言うそうな。頑固はともかく時代遅れになっているのではないかと、強迫観念にとらわれているのではないか?という友人。

Newkeitai1 時代親父は携帯電話で落ち込む。出始めのころは、人前で周りを無視して仕事の話をする男を見て「新し物好きの軽い男。そこまで仕事に追いまくられるのか」と冷ややかな目を向けていたそうだ。今はそうはいかない。周囲がケータイだらけ。可愛い娘にも「お父さん!ケータイ持ってよ!」と言われる始末。

時代に逆らっても無駄とケータイを身に着けた友人。だが、ほとんど着信音は鳴らない。時折あるのは酒飲むお誘い。メールの打ち方にも興味がなく、たとえメールが届いても返信はできない。胸ポケットの重さが気になってしょうがない。緊急時だけの連絡保険とあきらめているようだ。

6514351_s それにしてもケータイ風景は異常としか思えない。周りを見てもたいした話をしているようには見えない。人情希薄な社会の中で、わずかなツテとの結び付き。単にケータイ依存症にかかっているだけではないのか。

しかし、友人を見ていてこんなことを思う。今は歩みを止めているだけで、どんどん時代から取り残される。時代の流れが速すぎる。「十年一昔」などすでに死語ではあるまいか。「日進月歩」は日に月に間断なく急速に進歩する意味だが、「秒進分歩」と言い換えたくなるほど技術革新は目覚ましい。

Photo しかし、友人を見ていてこんなことも思う。メールが打てなくても死にはセン。メカや時勢に疎くても何とか暮らしていける知恵があればよい。時代に流されず人生を楽しみたい。

こんな友人を見ていて故阿久悠作詞の「時代遅れ」の一節が頭に浮かぶ。「似合わぬことは無理をせず 人の心を見つめ続ける 時代遅れの男になりたい」。

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2009年11月 2日 (月)

手打ちそば 豊とみ

Photo_2 昼間だけ開いている蕎麦屋があるという。蕎麦屋で昼間だけ開店?別に珍しくもない。しかし、夜は本格的なしゃぶしゃぶ料理店、昼は蕎麦屋になるとのこと、やはり珍しい。店の名は「手打ちそば 豊とみ」。

「豊とみ」は豊橋鉄道渥美線柳生橋から歩いてすぐにある。Photo_3もともとは、しゃぶしゃぶ料理で繁盛している「宇田川」という店で、昼のみ「豊とみ」の暖簾を出す。それも午前11時から午後2時までの3時間だけの営業である。

店に入ると蕎麦屋とは思えない洒落た設え。(そりゃそうだ、夜は高級料理店になるのだから当たり前か?)10席ほどのカウンター席は木目を基調とした純和風、小上がりは堀タイプで足が伸ばせ、ゆっくりと寛ぐこともで きそうだ。

1日限定10食の「十割そば(1000円)」も興味はあったが、初めての店では二八蕎麦Photo_4を味わうことにしている。ということで、二八の「ざるそば(780円)」を注文。ちなみに1枚追加は500円。蕎麦粉は石臼挽きの厳選した福井産、富士の湧き水で練 り上げているそうだ。麺は細引き、ツヤがあり、物腰の柔らかそうな店主に似て優しく上品な感じである。香りも十分にある。コシがきちんとあり、喉越しもよく食べやすい。結構な量があり、天婦羅などを組み合わせれば腹も十分に膨らみそうだ。

Photo_5漬け汁は辛過ぎず甘すぎずといった感じ、ダシの鰹の旨みが効いていて香りもよい。蕎麦湯で割って飲んだが美味しかった。

この「豊とみ」、何よりも魅力なのは職人らしからぬ対応か。店主の河合さんは30歳前後?聞けば、以前「宇田川」の料理場にいたそうだが、オーナーの了解を得て5年ほど蕎麦の修行を積み、ここに帰って昼間だけの蕎麦屋を開業したそうだ。丁寧な話しぶり・物腰・爽やかな笑顔・・・蕎麦職人というより好青年である。お手伝いの若い女性も気さくで親切。夫婦と見間違うほど仲もよさそうだ。

11月はじめには北海道産、12月には福井産の新蕎麦も入荷するという。次回は蕎麦通の友人と一緒に「十割そば」を食べに来ることを約束して店を出た。

「手打ちそば 豊とみ」 豊橋市柳生町38-2(宇田川内)

              ℡0535-37-2880 定休日 月・火曜日

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2009年10月31日 (土)

アサギマダラ

先日(10月21日)墓参りのついでに田原の権現の森を散歩した。

Photo 蔵王山への遊歩道の脇道のツワブキの群生、その花の蜜を綺麗な蝶が吸引していた。アサギマダラだ。アサギマダラは鳥のように「渡り」をするそうだ。それもかなりの長距離を移動するという。もちろん写真を撮るのも忘れなかった。

帰宅してネットコミュに写真を投稿したところ、ネット仲間がアサギマダラの生態を調べるためマーキングをすることを教えてくれた。

Photo_2 ”そういえば、撮った写真の中に数字かアルファベットのような模様のあるアサギマダラがいたような!?”・・・。そこで写真をもう一度確かめてみた・・・。”あった!!”確かに翅に日付などが書いてある。

【以下ウィキペディアより抜粋】
アサギマダラの成虫は1年のうちに、日本本土と南西諸島、台湾Photo_3 の間を往復していることが知られている。ただし北上する個体と南下する個体は子孫の関係で、同じ個体が移動する渡り鳥の移動とは異なる。

移動の研究は、捕獲した成虫の翅の半透明部分に捕獲場所・年月日・連絡先などをマジックインキで記入(マーキング)、放蝶するという方法で個体識別を行う。このマーキングされた個体がPhoto_4 再び捕獲された場所・日時によって、何日で何km移動したかが分かる。

研究者達によって、夏に日本本土で発生したアサギマダラは秋になると南西諸島や台湾まで南下、繁殖した子孫が春に北上し、日本本土に再び現れるという行動が明らかになった。中には直線距離で1,500km以上移動した個体や、1日あたり200km以上の速さで移動した個体もある。

アサギマダラは蜜を吸うためには3000mを超える山も健気に舞っていくそうである。美しいだけでなく渡り鳥のように「渡り」をする力強い不思議な蝶・・・。なんかアサギマダラにハマりそうな気分である。

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2009年10月28日 (水)

読書の秋

Oct03_a18 良書を読むことが心の糧となり、それが深みのある顔を生み出すという。反対に「四書五経を読まなくなった日本人の顔が時代劇に不向きな顔になった。」また「マンガばかり読んでいるとマンガみたいな顔になる。」という話も昔聞いたことがある。

学校図書館協議会などの全国調査によると、1か月に読む冊数が小学生8冊、中学生2.8冊、高校生が1.3冊と年齢が上になるほど少なくなっているそうだ。「朝の一斉読書」など読書活動推進の効果か、小・中・高校の格差は変わらないが読書量は増加傾向にはあるそうだ。しかし全く読まない者も増加していて読書の二極化が進んでいるようだ。

一般人でも年間に1冊も読まない人が30%もいるという。ところが本屋に行けば本は溢れている。新刊書も次々と出版されている。飽食同様、本の氾濫で読む前に飽きてしまいそうだ。私も本を買っても積読、つまみ食いのようなつまみ読みをしている。これでは糧にはならない。

09mark 忙しい人は時間の節約のため速読が要求されるが、ゆっくりと味わって読むことも大切である。文脈をたどり、行間を読むような読書のよさを見直したい。10月27日~11月9日は読書週間。テレビやインターネットだけでなく、秋の夜長はじっくりと良書に接し心の栄養を取りたいものだ。

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2009年10月25日 (日)

『樂』&『三樂』

Gaku 『樂』という字が好きで、修行中の篆刻でもこの字を彫ることが多い。最近も『樂』の一文字を3作ばかり彫り上げた。ちなみに「楽」は『樂』を簡易なものにした日本固有の文字である。

『樂』は音読みで《ガク・ラク》、訓読みで《たのしい・たのしむ》。《ガク》は「音を組み立てた調べ・楽器」、《ラク》は「楽しむ・楽しい・たやすい」という意味である。「木・白・糸」という象形文字が組み合わさっている『樂』について調べてみた。「鈴説・繭説・琴説」があるそうだ。

「鈴説」木はクヌギの木であって、クヌギにドングリの実が育っている。白はドングリをあらわしている。これから転じて「巫女鈴」のような楽器。糸は飾りの糸だ。舞楽のとき 糸飾りのついた鈴を振って 神を楽しませるのに使った。

「繭説」やはり、木はクヌギだ。「糸」はクヌギの木についた山繭(やままゆ)の糸のことであり、山繭によって木が白っぽくなっている。絹糸が出来るので楽しみだ。の「樂」だとか。

「琴説」木に糸を張ってある。糸とは弦のことだ。白は弦を調律する部分。具体的すぎるのがちょっと怪しい?これは楽器の琴(筝)だ。

ちなみに、クヌギは「椚・橡・栩・椢・椪・椡」などの漢字があり『樂』に木へんをつけた「櫟」もクヌギ。
さらに、古い時代の楽器(三味線やサウンガウ)の弦は絹糸を使っているものがあるので、繭 → 絹糸 → 絃(弦)というわけで「繭である説」も楽器と関連はしているとのこと。だから、もともとは弦楽器を弾くという意味だが、聴いていると楽しくなるということで「楽しい」に転用されたようだ。

『樂』は解決!次は『三樂』

Photo_9 今回遊びではあるが、3つの『樂』を彫ったからか『三樂』についても気になった。学生の頃、いつも屯していた「三楽(みらく)」という名の喫茶店、「三楽オーシャンなんてCMもあったなあ・・・。そこで『三樂』についても調べてみた。有名なのが孔子の『三樂』孟子の『三樂』

孔子曰く、「益者三楽、損者三楽。礼楽を節せんことを楽しみ、人の善を道う(言う)ことを楽しみ、賢友多きことを楽しむは、 Photo_11 益なり。驕楽を楽しみ、佚遊を楽しみ、宴楽を楽しむは、損なり」と。即ち、ためになる楽しみと、害になる楽しみとがある。一般に『三樂』と言えば、この論語の「三楽」ではなく、孟子の『三樂』の方が有名らしい。

「”君子有三楽、而王天下不与存焉”君子(くんし)に三楽(さんらく)()り、而(しか)して天下(てんか)に王たるは与(あず)かり存(そん)せず。(尽心篇)」

三楽の第一は、父母がそろって健在で兄弟に事故がないこと(父Photo_12 母倶存兄弟無故一楽也)、第二は、自らを省みて天地に恥じることがないこと(仰不愧於天俯不怍於人ニ楽也)、第三は、天下の英才を集めて若い人を教育すること(得天下英才而教育之三楽也)で、

「君子には三楽があり、天下の王となることとはかかわりがないのだ。父母が二人ともご存命で、兄弟が息災で暮らしていること、これが一楽である。上を向いて天に恥じることがなく、下を向いて人に恥じることがない、これが二楽である。天下の英才を集めて教育すること(英才教育)、これが三楽である。君子には三楽があるが、天下の王となることとはかかわりがないのだ」

いずれも人生の真の楽しみは、世俗的な栄誉ではないことを謳っている。

Photo_4_3 日本にも『三樂』について面白いものがあった。江戸時代の儒学者貝原益軒の「養生訓」。

養生訓は益軒自身の実体験に基づいて書かれた物で、長寿を全うするための身体の養生だけでなく、心の養生も説くところに特徴があるという。

その中で、孟子の君子の『三樂』にちなんで、養生という点から『三樂』「道を行い善を積むことを楽しむ」「病にかかることのないのを快く楽しむ」「長寿を全うすることを楽しむ」としている。

Photo_3_2 長寿を全うするための条件として、自らの内にある4つの欲を抑えることとして「あれこれ食べてみたいという食欲」「色欲」「むやみに眠りたがる欲」「徒らに喋りたがる欲」を我慢するべきだといっている。これらを押さえた上で、季節の暑さ寒さなどの変化に合わせた体調の管理などが揃って初めて健康で長寿を得られる。益軒は愛妻家でこれを妻とともに実践し、晩年も夫婦で福岡から京都まで物見遊山にでかけたりして睦まじく長生きしたという。なるほど!

ほかに列子(天端)人生の三つの楽しみ。人間として生まれたこと、男子として生まれたこと、長生きしていること。これは女性に怒られそうだ。

いずれにしても、単に楽しく楽に暮らしていくだけでなく、人生の真の楽しみ を得るように生活していきたいと思う。できれば、貝原益軒的な人生がいいなあ。でも我慢することは???

まあ『百樂』にでも挑戦しながら『樂』について考えていこうか。

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